時代を駆け抜けた坂本龍馬
今回は、坂本龍馬ゆかりの地に関するデートコースを紹介。最近は、歴史好きが集まる街コンや婚活イベントもあるようで、そういったカップルにぴったりのデートスポット。しかも、新婚旅行がテーマになった場所なので婚活にも縁が深い。旅の目的に訪れれば盛り上がること間違いなし。
今回ご紹介する鹿児島県霧島市は“温泉地”としても有名な場所。龍馬と同じように、心身の疲れを癒すにはもってこいのデートコースが立てられそうだ。
せっかく龍馬の足跡をたどるなら、少しくらいは歴史のことを知っておいたほうがいい。そこで、龍馬に関するヒストリーをショートカットしてお伝えする。
ヒストリーに合わせて鹿児島県霧島市の龍馬にゆかりの深い場所について紹介していきたいと思うので、とことん歴史に興味がある人は恋人を誘って出かけてみてはいかがだろうか。
幕末の風雲児 坂本龍馬
幕末。それは、260年続いた徳川幕府にピリオドが打たれた時代。260年、政治の主導権をにぎっていた徳川が天皇に政権を返したことで江戸幕府が終わりをむかえた。世にいう「大政奉還(たいせいほうかん)」である。
いつの時代も歴史が大きく変わろうとしているとき、その裏では命を削り、血と汗を流した革命のリーダーがいる。
だが、革命を起こすには“金”と“人材”、“力”が必要。株主制度を取り入れ、現代の株式会社の原型にあたる「亀山社中」を起業し、海外貿易による利益で資金を集めた。薩摩藩と長州藩の和解を取り持ち「薩長同盟を締結、これにより徳川幕府に対抗する“力”と“人材”を確保。徳川の時代を終わらせるべき理由をつづった「建白書(けんぱくしょ)」を徳川慶喜に提出する。すべては、大政奉還を実現するために。
この一連の働きを陰で主導した人物こそ坂本龍馬である。江戸から明治へ時代の変化を求め、全国を駆け回った。大政奉還は、西郷隆盛、桂小五郎、山内容堂、大久保利通、勝海舟など、いずれも歴史に名を残す偉人たちが関係した出来事だが、その人物たちを相手に龍馬は巧妙な駆け引きで渡り歩いた。
マンガやドラマ、小説など度々登場する龍馬。彼の人間力、感性、行動力には人並み外れたバイタリティがある。なぜ龍馬は、そこまでして時代を変えたかったのか。
ただ、日本を変えたかった
龍馬は、このような言葉を残している。
「徳川幕府は、徳川一族が栄えることだけを考え、江戸に生きる三万人の人間を縛り続けてきた。各地に散らばる幕府の大名連中も同じで、自分らの都合だけで政治をして国民の幸せなど考えていない。いったい、日本人はどこにいるのか。日本という国を良くしたいと心から願う者が、国を率いているリーダーの中にいるだろうか。自分らの都合で生きているようにしか思えない。
日本人は三百年、ずっと低い身分に縛られ、徳川の政治が国民にもたらした幸せは何一つない。この事実だけでも、徳川幕府を倒す理由に値するだろう。武力や権力に頼らず、法律や常識で解決できる国にしたい。日本を、今一度、洗濯しなければならない時がきたのだ。」
しかし、いくつもの障害があった。離れていく者、バカにする者、時代を動かすには一筋縄ではいかない。スケールが大きければ、なおさら困難だ。「もう、やめよう」「敵が強すぎる。もう諦めよう」そう何度も説得されたことだろう。しかし、どんな苦難が降りかかっても龍馬を支えた原動力が“決意”と“信念”。
また、こんな言葉も龍馬は残している。
「世の中が俺をどう評価しようと、そいつの好き勝手に言わせておけばいい。自分の成すべきことは自分だけが知っている」
「確かな決意をもって徳川に意見すると決めたなら、自分の死体が道に捨てられている状況をいつも覚悟せねばならない。勇気ある者は、自分の首が斬られる状況をいつも覚悟せねばならない。そうでなければ、本当の自由など得られるはずもない」
「俺の行動が半日早ければ、そのぶんだけ日本の未来は明るくなる。そんな気がしてならないのだ。笑いたいヤツは笑えばいい」
こうして揺るぎない信念と決意が龍馬を動かし、1867年10月14日、大政奉還が成立したことで徳川の時代に幕を閉じた。