目次
名古屋城でデート
名古屋市の中心部 中区。405年にわたり、尾張の行く末を見守り続けてきた『名古屋城』。名古屋市の定番スポットとしても有名だ。
歴史好きにはたまらない場所だが、そうでない人でも楽しめる名所となっている。もちろん、デートスポットにも最適な場所と言えるだろう。姫路城、熊本城にならび日本三名城として有名な「名古屋城」。金のしゃちほこを一番に思い浮かべる人も多いはず。
三重の“伊勢音頭”には、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」といった言葉も出てくるほどで、名古屋城は名古屋を象徴する存在だ。現在、国の特別史跡にも認定されている。
昭和5年に国宝に指定されたが、昭和20年5月の名古屋空襲(第二次世界大戦末期)により「天守閣」と「本丸御殿」を焼失してしまう。戦後、1959年(昭和34年)に天守閣は再建され、本丸御殿については2018年を完成目標として現在も復元中。江戸時代の書物や文献、写真や絵が多く残されており、当時の本丸御殿を忠実に再現することが可能と言われている。
そこで今回は、名古屋の定番スポット名古屋城に関する雑学を5つご紹介。名古屋城でデートする際には、ぜひ参考にしていただきたい。
雑学の前に名古屋城の歴史を少しだけ・・・
はじめてこの場所に名古屋城が建ったのは関ヶ原の合戦から9年後の1609年。それまで尾張の都市は「清州(きよす)」だった。※現在の清須市
しかし、清須は地形の問題から水害に弱く、今後の政治安定や情勢への対応に不安を感じた徳川家康が政治の拠点を移すため名古屋城を建てたとされている。だが、本当の狙いは「権力を見せつけるため」とも言われている。
関ヶ原の合戦で勝利し天下統一を果たしたとはいえ、全国に散らばる大名連中を絶対服従させたとは言えない状況だった。そこで家康は、最後の大仕事に取り掛かる。まず家康は、徳川家の “権力”を天下に示すために名古屋城を建設。
権力の見せつけは、城だけではない
名古屋城が完成して3年後、尾張(愛知県)の都市を清須から名古屋へと移す。都市移動は4年をかけて大々的に行われ、この時期、「名古屋」という地名が生まれたという。1612年~1616年の名古屋革命、これが世に言う「清須越し(清洲越し)」である。名古屋城は九男の義直が住み、尾張徳川家が17代まで引き継いだが、明治4年に廃城。
「家康が義直のために建てた城」と注釈されることもあるが、そんなに単純な話じゃない。名古屋城は、家康の思惑や意図、権力への強い執着が物体化した建物だ。名古屋城の建築と並行して、大坂の陣で豊臣家を亡ぼすことになる。名古屋城の建設が、江戸幕府への土台作りになったことは言うまでもない。
<雑学その1 名古屋城といえば“金シャチ”と“天守閣”>
名古屋城を語るうえで “天守閣”は外せない。地下1階に展示されている “金シャチの実物大レプリカ”や5階の“金シャチ模型”は是非とも押さえておこう。金シャチの高さは2.6メートル、重さ1200キロ。オスとメスの2体が天守閣の屋根に設置されている。
北側がオスで南側がメス。そのレプリカを実物大で展示しているのが地下1階になる。金シャチ2体で およそ88キロの18金を使用し、うろこの数は2体合わせて238枚。
5階の金シャチ模型は、またがって記念撮影ができる。
こちらも実物大で、かなり大きい。
そのほかにも、名古屋城の歴史400年を知るために設置された3Dシアターや、城内模型を見学したり、絵や写真、刀やよろい、火縄銃の展示、実際に石垣を縄で引いて城造りの苦労を体験したりするなどアミューズメントも充実している。