目次
<長久手の戦いポイント3 ついに決戦開始>
岡崎城へ奇襲攻撃を企む秀吉、それを逆手に取り背後から攻撃を仕掛けようとしていた家康。9日の早朝から午後1時過ぎにかけ、長久手を中心とした4つの場所で決戦が開始する。
まずは、「岩崎城の戦い」。現在の日進市にあたるこの場所で第一戦を開く。
早朝5時頃、豊臣軍の先頭の池田隊が岩崎城を通りかかると、「待っていました!」と言わんばかりに岩崎城で待ちかまえていた鉄砲隊が攻撃する。
たまたま一発の銃弾が池田勝入の馬の前足に当たり勝入は馬から転げ落ちた。激怒した勝入は、わずか240名ほどの兵を連れ岩崎城へ突入。ほんの数分で岩崎城にいた兵隊を全滅させたたという。初戦は豊臣軍 が1勝。
<長久手の戦いポイント4 白山林の戦い>
「白山林」は現在の尾張旭市にある。ここで小牧長久手の戦い第2戦目が開かれる。白山林周辺は、現在では住宅地になっているが白山林の戦いが行われた区画だけは林が残されている。
白山林で休憩中の三好隊(豊臣軍)は家康の部隊に背後から攻撃を受け、あっけなく惨敗。あまりの驚きに、三好隊の大将・三好秀次は馬を探すが見当たらず走って逃げたとのこと。今のところ、1勝1敗の引き分け。
<長久手の戦いポイント5 桧ヶ根の戦い>
白山林から逃げてくる三好隊を助けるため豊臣軍の堀隊が「桧ヶ根」で待ち伏せしていた。徳川軍がやって来ると鉄砲を発射。
槍で突撃、豊臣軍の圧勝に終わる。この戦いが行われた桧ヶ根は、現在の長久手中央図書館あたり。豊臣軍2勝1敗、一歩リード。
<長久手の戦いポイント6 仏ヶ根の戦い>
白山林で三好隊が敗れたことを知った豊臣軍の池田隊と森隊は岡崎城へ行くのを中断し、急いで長久手へと戻り、「仏ヶ根」で家康と戦うことになる。
しかし、戦の経験が一枚も二枚も上手の家康。実力の差を見せつけ、わずか3時間で池田隊と森隊を全滅させる。この戦いで池田勝入、森長可が命をおとした。
<長久手の戦いポイント7 合戦の結末>
仏ヶ根の戦いのあと、ひとまず家康は「小幡城」で休む。小幡城は現在の名古屋市守山区にあたる場所だが、城の建物自体は存在しておらず跡地を示す案内板だけが残っている。敗北を知った秀吉は、急いで軍を引き連れ仏ヶ根を目指した。「竜泉寺城」に到着した秀吉は、家康が仏ヶ根ではなく小幡城にいることを知る。
そして、翌日に小幡城の攻撃を決意する。それを知ってか知らずか、家康は小幡城を抜け出し小牧城へと移動した。それから数日後、話し合いが開かれ長久手の戦いは幕を閉じる。
小牧長久手の戦いと聞くと、長久手で行われた合戦だと解釈している人もいるが実はそうじゃない。小牧城・岩崎城・白山林・桧ヶ根・仏ヶ根、この5ヶ所で行われた合戦の総称が小牧長久手の戦いとなる。
さらに、これは余談だが、秀吉は合戦に一度も参加していない。あくまでも指揮をとっただけである。戦場に赴くことは一度もなかった。
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