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歴史好きが集まる婚活パーティー「歴コン」
最近では様々な合コンや婚活パーティーが全国各地で開かれています。趣味コンだったりオタコンだったり、自衛隊が集まる婚活パーティーだったりと多種多様です。そんななか、意外と知られていませんが、歴史好きが集まる合コンや婚活パーティー「歴コン」をご存知ですか?
5年くらい前から少しずつ見受けるようになりましたが、それでも他の合コンや婚活パーティーに比べると少ないようです。しかし、歴史が好きな独身男女にとっては貴重なイベントですよね。
歴史という同じ趣味をもつ異性と出会い、しかも婚活まで出来ちゃうなんて願ったり叶ったりです。大河ドラマやマンガなどの影響もあって歴史に興味をもつ男女が増えましたし、「歴女」なんて言葉も流行したくらいです。
そういえば、前回、婚活のみかた編集部のコラムでご紹介した結婚相談所サンマリエさんも歴史に関連する婚活パーティー「歴コン」を主催しているようです。今後も「歴コン」を主催する結婚相談所が増えそうですね。
前回コラム:創業33年結婚相談所サンマリエの詳細と魅力とは?サンマリエはここが違う!)
参考:エクシオスペシャルパーティー:歴史好きが集まるお見合いパーティー
参考:パーティー×パーティー:歴史・観光好きの方大集合☆大人の婚活応援パーティー♪
歴コンで使える6つの雑学
歴コンといっても、人それぞれで好きな時代も人物も違います。なかには、そんなに詳しくないけど参加してみたいという方もいるでしょう。でも、安心してください。歴コンの趣旨は「歴史が好きならOK」「歴史に興味があればOK」これだけです。なので、参加してみたいという興味があれば迷わず参加しちゃいましょう。
それでも不安という方に、今回は歴コンで使える歴史雑学をご紹介します。教科書に載っているような歴史だと面白みがないので、一味違った歴史雑学をピックアップしました。歴コンに参加してみたい、歴史に興味があるけど難しそう、そんな方にピッタリの雑学だと思います。
何事にも興味が肝心。そのあとで、好きな武将や人物、時代や城など自分で気づくようになってきます。では、さっそく見ていきましょう。
歴コンに使える雑学1「風呂敷(ふろしき)」のはじまりは明智光秀?
皆さんは「風呂敷」をご存知ですか?昔はお弁当や荷物を持ち運ぶ際に「風呂敷」を使っていたと言いますが、現代でもお中元やお歳暮を包む際に使われています。その風呂敷が、『明智光秀』と深い関係があると言うのです。
明智光秀といえば、本能寺で織田信長を殺した人物として「三日天下」や「裏切り者」のイメージが定着していますね。本能寺の変から11日後、明智光秀は豊臣秀吉に命を奪われ55歳でこの世を去りました。この出来事に、明智光秀と風呂敷の謎が隠されています。
本能寺の変の直後、光秀は京都の「妙心寺(みょうしんじ)」を訪ねます。妙心寺の坊さんに身を潜めさせてほしいと頼みますが、人を殺してきた者をかくまうことはできないと断られてしまいます。鬼のような形相で息を荒げる光秀を見た坊さんは、「お風呂で汗と血を流しなさい」そう言ったそうです。光秀が入ったとされる風呂は現在も妙心寺が管理し、「明智風呂」と名前がついています。
かたじけない。そう言うと光秀は風呂の前で座り、一枚の布を敷いたあと刀や着衣を包みました。これが、風呂敷の言い伝えとされています。風呂の前で敷いたから風呂敷。シンプルな語源ですね。しかし、その裏には本能寺の変という大きな出来事が関係しているわけです。光秀は風呂の中で何を考えていたのでしょう。後悔でしょうか、それとも晴々とした気持ちだったのでしょうか。
光秀は、この世を去る前にこのような言葉を残しています。
「正しいことと間違ったことには一本の道しか存在しない。では、人の守るべき正しい道とは何だろうか。五十五年の間、私は夢を見ていたのかもしれない。夢から覚めた今、やっと自分を取り戻せたような気がする。これまでの人生に少しの悔いも無い」
(原文: 順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば一元に帰す)
京都を観光する際には、ぜひ妙心寺を訪ねてみてはいかがでしょう。光秀の魂が供養されている寺でもあります。未だに多くの謎が隠された光秀。風呂の前に座り風呂敷を包む光秀の面影を感じることができるかもしれません。
参考:大本山 妙心寺:浴室
住所:京都府京都市右京区花園妙心寺町1
tel:(075)463‐3121
歴コンに使える雑学2 池田恒興の長女は戦国時代の鉄砲隊長
戦国時代に活躍した武器といえば鉄砲。あちこちで合戦が日常茶飯事だった戦国時代、鉄砲隊は貴重な存在でした。それと同時に、兵隊も貴重な存在です。農民や子供まで合戦に参加する時代でした。場合によっては、女性も合戦に駆り出されます。
そんな時代、合戦で一目置かれていた女性が「池田せん」です。織田信長の家臣であった池田恒興の長女にあたります。池田せんは女性ばかりを200人集め、鉄砲隊を作りました。そして、1583年、「賤ヶ岳の戦い」で豊臣軍の一員として合戦に参加します。
せんの父である池田恒興は、織田信長、豊臣秀吉に仕えた戦国武将で愛知県犬山城の主でした。桶狭間の戦いや姉川の戦い、長篠の戦い、小牧・長久手の戦いなど多くの合戦に参加し、功績を残しています。月9ドラマ信長協奏曲では、向井理さんが恒興を演じていましたね。
さすが池田恒興の娘、女とは思えないほどの戦いっぷりだったそうです。賤ヶ岳の戦いで豊臣軍が岐阜城を取り囲んだ際、せんは先頭に立って敵を撃ちまくります。その姿を見た男たちは、「恒興の娘は恐ろしい女だな」そう噂していたそうです。いつの時代にも強い女性はいるということですよ。